ヨーロッパ〜日本往復日記

2001年から2003年まで二年の世界放浪の旅へ、それからどんどん価値観が変化していく様子をブログに書いています。

希望祭&日本人移民になるということ

は〜、今日の希望祭(パリの日本人会主催の福島への義援金集め) 大盛況で終了です。
三線の弾き語りしてきましたよ。
オランダの日本食材用魚屋さんがわざわざ来ていて、粕漬けと西京漬をゲット。ヤッター。
バザーで売れ残った物品をもらったり、激安で分けてもらったり、たくさんの戦利品。ふふふふ
私が所属する脱原発のアソシエイション「よそものネットフランス」もブースを出して、義援金用のバザーや
今問題の大間原発内にあるアサコハウスへの応援郵便の手紙集め、
1000万人脱原発署名を集めたり、もういろいろ同時進行で、大忙しでしたが、楽しく出来ました。


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特にカチャーシーが大盛り上がり、フランス人も日本人もみんなで沖縄の歌に合わせておどりましたよ。

舞台の上で左で手を振って、振り付け指導(?)しているのが私



数ヶ月前にあった脱原発ヒューマンチェーンというイベント(みんなで手を繋いで、パリの中を人で囲む集会、2万人が参加)
でも、結構お年を召した日本人の方をたくさん見ましたが、
今回の希望祭にも60、70歳以上を超える様な日本人がたくさん。




パリにはむか〜しから日本人が移住していたんだな〜という歴史を感じました。


ベルリンに何年も住んでいてもそういう人に会った事はなかったし、ほとんど聞いた事もなかったのでね。




現在100万人を超える日本人が海外で生活しています。

もちろん、この数は日本国籍を所持しているひとなので、移住した子孫の日系人も数えたらもっとでしょうね。

あまり、日本に居るときは、そんなに日本人や日本人の祖先が海外にたくさん居る事を感じませんがね、(私だけかな?)
実はたくさんいるんですよね〜。




もちろん、南米にはたくさんの移民が居て、特にブラジルに居る日系人は有名ですが、

ペルーに去年行ったとき、ペルー料理はたくさんの国の食文化が混ざっているという事をしりました。
日本料理もそのひとつ。


日系二世の前フジモリ大統領の人気はペルーでは根強く、その娘さんも政治家で、よくfujimoriと書かれた壁というか家がた〜くさんあったんですよ。(ペルーでの発音はJI がヒになって、フヒモリ)



それでペルーで眼鏡を作ったとき、日本人か?と聞かれてそうだというと、フジモリ氏の話が出てる。
わたしの中で、フジモリ前大統領は日本人というよりは、ペルー人。

でもペルー人には、フジモリ氏はペルー人というよりは日本人なんですよね。

なんか不思議な感じがしたんですよ。








大分昔に紹介したものですが、こんな日本人移民の歴史を綴ったHPがあります。

http://www.najc.ca/thenandnow/jp/history.php
http://www.discovernikkei.org/wiki/index.php/Encyclopedia_of_Nikkei_Migration_JA

http://members3.jcom.home.ne.jp/iminshi/index.htm



私が、もしこのままフランスにずっと住めば日系一世になって、
私の子供が生まれれば、日系二世。

それで、日本に住む人から見れば、私は日本からすっごく離れてしまった感じの人で、私の子供は外国人になるのかな?

なんか不思議ですね。





そういえば、以前、日本語学校で日本人の学生を二人教えた事があったんですよ。

二人とも両親は日本人で、中国に赴任。子供(その学生、14歳と17歳ぐらい)は中国で育った。
そして十数年後に帰国。


子供は中国で育ったので、日本語はままならい。
普通の学校へ行く前に日本語学校で日本語を習わせてからという感じでした。


二人とも日本語の聞きとりは解るけど、あまり話も出来ないし、読み書きもあまり出来ない。
親の都合で国を移動しているので、全く勉強する気もないし、他の外国人学生と同じように教えるのは無理がある。だって、その子達は親とは日本語で生活してきたわけだから、それなりの下地はある。



順応性がある子供とは言えども、言葉とか文化とか違う所を移動するのはもの凄く負担がかかっているという
そんな感じだったんですよ。


話は飛んで行きますが、移民に成るという事はいろいろな事がこの先起こるんだろな〜〜という
予感です。


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