ヨーロッパ〜日本往復日記

2001年から2003年まで二年の世界放浪の旅へ、それからどんどん価値観が変化していく様子をブログに書いています。

日本好きが沢山いるパリ

皆さん、またまたお久しぶりです。

パリに2週間ほど前に戻ってきましたよ。

パリに戻ってきて、何となくホッとしましたね。日本を出る前は日本出たく無い〜と
思っていましたが、帰ったら帰ったで、またホッとするもんです。

自分の生活の基盤がこちらに移った証拠でしょうか。

パリに帰国早々、日本人会主催の希望祭という福島への募金を募るバザー兼お祭りで

沖縄三線の演奏と脱原発グループのバザーのお手伝いをしました。

舞台に出るのは良いものですね、生活のハリになります。それから一昨日は

私たちの三線のフランス人先生の友人の沖縄の先生がパリに旅行に来ていて、

パリ三線クラブと大学生の三線クラブ合同で、練習会がありました。


沖縄三線の先生といっても30代の若い女性で、すぐ意気投合、
みんなで、練習会のあと、バーに行き、その後、パリの大学生(多分40代)
のお家に流れ込んで再び演奏と、なかなか楽しい日でした。


このパリの大学生が何と、パリ郊外の元工場を作り替えたアーティスト集合住宅に住んでいて、
部屋にたくさんの日本コレクションが!

凄かったんですよ。日本刀、仏像、お地蔵さん、昔の提灯、四国お遍路制覇の掛け軸。

はたまたゲームセンターの本物のゲーム機などもあって、日本がほんっと〜〜に好きなんだなって感じです。


それにルームメイトの女性も凄くてね、フランス人漆職人で、世界中から集めるアジアアンティーク家具の会社で働く
のプロの修復師。

自作の素晴らしい漆の和洋折衷のパーティーションが部屋に飾られていて、
こんなのを日本で買ったらものすごい値段なんだろうな〜っと感心して見入ってしまいました。




彼女は日本にいつか漆に金箔で模様を描く沈金の技術を習いに行きたいそうです。


フランス人の日本文化後継者ですね。



再びパリにあるディープな日本文化に触れました。


そうそう大切な事がありました。

滞在許可を受け取るにあたり、OFIIのフランス歴史講座を受けなければならなかったのですが、
6月3日、朝9時から午後5時までの講義を無事に受け、初めて警察署を訪れた2013年の3月から今まで、1年以上掛けて取った1年間の滞在許可書のハードルが全て終わりました〜〜〜☆☆☆

ひたすらながかったな〜〜。が!!、現在持っている滞在許可書の期限は12月中旬それで
5ヶ月前までに、次の年度の許可の申請を始めなければならない!

という事は7月、来月からまた2度目の許可書を得る為に動き始めなきゃいけないという事で〜す。

なんということでしょう。

一難去って、また一難とはこの事。

でも、これをやらないと次の許可書がもらえないので、やるしかない。



初めての申請から待機時間たった3週間で、3年間のフリーランサービザをもらった2005年のベルリン滞在時代。
ほんとうに雲底の差だね。


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