ヨーロッパ〜日本往復日記

2001年から2003年まで二年の世界放浪の旅へ、それからどんどん価値観が変化していく様子をブログに書いています。

リア充 vs 超便利、超消費社会

突然ですが、今日本に居るんですよ!

早速桜を満喫しました〜。それから今日は、過ぎてしまっていた免許の更新に行って、初心者と同じ講習を受け、
新しい免許を頂き、ほっとしました。

久しぶりの日本、さらに綺麗に、便利になっていて感動!


のはずが。。。。。。。。。








リア充】という言葉は、私が海外に出た後に流行り出した言葉で、あまり私にはなじみの無い言葉だったのだが、
今回の帰国でそれがどういう言葉なのか良くわかってきた。







便利社会になればなるほど、現実の充実感が乏しくなって行くのかも〜〜〜ってね。

私が新社会人になった頃、まだネットはそこまで発達していなかった。リア充という言葉がまだなかった時代。


ネットだけじゃない。


電車から乗り継ぎの途中で駅の中がデパート化して、買い物にわざわざ出かけなくても買い物が出来る仕組み。

めっちゃ便利、今度あの街(駅)に買い物しに行こうという、わざわざ足を運ぶって事も減って行くのかなって。






発展途上の国々の人は、便利な社会に生きていないので、自分が動くしかない。
それは先進国の人とは又違う忙しさの中で生きている。
ロッコの山の家族のお母さんなんか家事が本当に大変そうだったけど、

一つ一つの仕事にコミュニケーションがつきまとう。

例えば、裏山に焚き木を切りに行くのにも、近所のおばさん達と一緒に行ったり、

買い物をしに下の街に行くのにも、他の山から売りにやってきたおばさんとの値段交渉。


久しぶりのハマン(銭湯の様なもの)で近所のおばさんと一緒に垢をこすりあう。

一つ一つ、時間がかかるんだけど、そこに他人とのコミュニケーションが入る。




私は、このとき、この姿を見て、便利さと引き換えに私たちが失ったものは、地域との交流だと思った。

まあ、私は近所付き合いとかメンドクサイので、まあ生まれた場所と世代が違うだけで、私の世代には
また違うコミュニケーションスタイルが有るし、ネットを使ってのコミュニケーションだって、一つの新しい形なだけ、
どんな形であれ、人間はコミュニケーションをし続ける。そう思った。ゴシップとか好きじゃないし〜〜〜。



が、、、、、今回、日本に帰ってきて、なんかこの便利さが、とてつもない便利さになっていて、

ほしいものがすぐ手の届く範囲に全てあって、すぐ終わる。

それが、

リア充したいけど、出来ない状態、なのかも??って思う。



その昔、携帯電話が出てきたとき、いろんな議論が出た。(まだそんなに過去の事じゃないので、知っている人も多いので、説明は省く)



新しいスタンダードとなるものが出来るとき、過去の生活から変化するため反発が起こるのは世の常。


だが、インターネットが普及するとき、あまりアレは良く無いものと言った議論が少なくて、
インターネットの良い面ばかりが取り上げられていた様な気がする。(未成年とポルノの問題はあったが)



駅だって、あっと言う間に便利になって、ああ便利になった良かった。ぐらいにしか認識されていない気がする。
(地元の商店街の人たちだけかな、反発したのは)


人々は便利になる世の中をすんなりと受け入れた。


もちろん!!便利じゃないより、便利の方が良いに決まっているジャン!!


ハテそうなのか???????????


インターネットや駅チカだけじゃない。


ありとあらゆる【便利】に【お金を出したらハイ終わり】状態が人々を受け身状態が当たり前、受け身で居る事が普通という状態になっている。






【受け身の生活からリア充は生まれない。】と私は思う。




じゃあ、こんな超便利&超消費社会になったのは悪い事???日本人の工夫&努力の結晶じゃん。


それは私にはまだよくわからない。ある特別な役割を持った人には、そのしなければならない事に割く時間が
増えて、良いんだろうね。


でも、大部分の人にとっては日常の生活そのものが、しなければならない、大切な事なんだよね。

その中で自分なりにあれやこれやと創意工夫したり、体を動かして行く事が、充実感を与えてくれるのだと思う。









話とは関係ないけど、超感動したビデオ


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