ヨーロッパ〜日本往復日記

2001年から2003年まで二年の世界放浪の旅へ、それからどんどん価値観が変化していく様子をブログに書いています。

こういう危機的な状況で、いろんな事が表に出てくるよね。

私はトータル5年もドイツにいたので、ドイツと比べてしまうんだが、
日本は二重構造がハッキリしている。

表の顔と裏の顔。建前と本音。世間と内。


庭から縁側、薄い障子から室内へと、外からの導線が流れるように内に入る日本建築
とは対照的にね。

ドイツの建築は厚い壁で区切られ、外から完全にシャットアウトされる。
それとは対照的に
ドイツ人は他の国の人々と比べ建前と本音の差が大分少ない。

本音をかなりストレートに口にする国民性なので、そのおかげで傷ついた外国人は数限りなく居る。日本人だけではないんだよ!
私もこの自分の思いをオブラートに包まずに表現することを歴代の元彼氏たちから無理矢理
学ばされた(笑)





昔から現在まで、日本の役人の言葉は漢語が主で、普通の人には読めない理解しがたい。

方や日本語は感情を表現する和語がたくさんある。
日本語の美しい文化はここにある。

日本語が達者なドイツ人が、自分の感情を表す言葉は母国語のドイツ語よりも日本語の方が
良いと言っていた。それは彼一人だけでは無いらしい。









原発問題もしかり。


政治や世の中の仕組みを握っている人間と

そうでない人々の隔たりがあまりに大きい。

同じ学者でも原発推進派の収入や待遇とそうでない人たち。








私が今回何を書きたいかって?自分でもよくわからないが。。。。


それは、日本のこの二重構造は今になって始まったことでは無く、日本の歴史文化に脈々と
流れるものであって、

それを受け止めつつ自分の生き方に集中するしかない。







日本が鎖国をしていた時代に、庶民が自国独特の文化や表現方法を生み出したように。




ここまで、美しく昇華された日本の文化は今まで先人一人一人の努力の結晶だ。


フォーカスすべきところは自分の足下。

この原発問題だって、庶民の一人一人の意識が何か大きいものを生み出すんだと思う。







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