この原発問題の後、
政治家や官僚たちは本当は国民の事を考えていない事が表にどんんどん出て来ていますよね。
私も以前から、気づいてはいましたが、これほど酷いのかと結構ショックです。
私たちが歴史からなにか学べる事があるんじゃないかなって思った旅を今日は紹介しますね。
去年、私は東ヨーロッパを旅しました。
東ヨーロッパ諸国は昔ながらの文化を色濃く残し、守って、大変興味深い土地でしたよ。
そして人々からはヨーロッパ人らしからぬ繋がりを感じました。
旧ユーゴスラビア圏、セルビア、ボスニア、クロアチア、スロベニアを旅した中で、
あまり日本ではニュースになっていなかったけど、
90年代初頭独立を巡る戦争、NATO軍がいつもの様に軍事介入して
大規模な戦争になってしまった爪痕があちこちにあるのを見たのでした。
1943年〜1992年までユーゴスラビア社会主義連邦共和国を形成していたんだけど、
昔からその地は複雑な歴史的背景を持つ多民族国家なので、長く一つの国家を形成し続けられなかったんだね。
とくに第二次世界大戦中ナチス・ドイツから解放した
ユーゴスラビアの”英雄チトー”が80年に亡くなってから、政治は混乱していたんだ。
民族間の隔たりというのは、旧ユーゴスラビアのボスニアに行くと今でも肌で感じます。
同じ街なのに、キリスト系とイスラム系で2分される。川一つ、道一つ、橋一つで
別れるんだよ。そんな街が点在しているんだ。特にボスニアは90年代の独立戦争の最前線で
ぞっとするぐらいの弾丸の跡がいまだ壁に残っている。
あまりに酷く、写真を撮る気が起きなかったくらい。
黄;スロベニア
赤;クロアチア
グレー;ボスニア・ヘルツェゴビナ
青;セルビア
もともとスロベニアの地はいつも大国に支配されていて、いつも上は変わってはいるけれど、自分たちの生活を淡々と送ってきたらしい。
支配されて農奴にされたり危機があってもスロベニア語だけは失われず、話されて来たんだね。
それで民族意識が芽生えるんだ。
スロベニアは90%以上が同じ民族で、農民や職人が多く居る国で、
その職人たちの技術は素晴らしいので、大国が上で支配しながら、その技術に頼っていたのです。
(日本も似ているよね)
オーストリア帝国やナポレオンが支配したときだって、
ユーゴスラビアになったときだって、彼らは黙々と自分たちの仕事をしていたらしい。
91年にソ連崩壊、スロベニアにとうとう独立の機会がやってくる
スロベニアの地方議会でスロベニアが独立するかしないかの国民投票が行われる。
次の日、独立が決定されるが、すぐにユーゴスラビア中央軍(中心はセルビア)が”待った〜その独立認めん”と、戦闘態勢にはいる。
でも、歴史の荒波にいつも飲まれていたスロベニア人たちは
冷静に判断、準備していたんだ。
というか、スロベニア人たちは経験上そんな投票をしたら、すぐにユーゴスラビア中央政府
(そのときの中心はセルビア系民族)
は阻もうとして戦争を仕掛けてくるって知っていたんだよ。
その国民投票の前に、ずーっとスロベニアで水面下で根回しが行われる。
若者を中心とした志願兵というか、戦う意思がある人たちが、グループを組んで、ずっと準備していたんだ。
まず、ユーゴスラビア中央軍の武器庫から片っ端から武器を盗んでしまった。
(ユーゴから言われればスロベニアはテロ集団だよね。テロなんて大国の都合上言っているだけ)
そして、地理的にスロベニアの隣にはオーストリアとイタリアがあり
スロベニアが戦闘の渦になれば、オーストリアやイタリアの一部が巻き込まれる可能性があるとEU世論も味方につけた。
ユーゴの中で一番最初に独立を宣言したスロベニアに対し、
兵士一人一人は最初ついさっきまで同じ国の人だった人に銃や爆撃する事を躊躇したんだね。ユーゴスラビア中央軍司令官はスロベニア人だったし。
やっぱり戦争起こってしまうんだけど、
それは戦争が長くなったクロアチアやボスニアとは違って、その土地の人たちが90%以上が民族で、ほぼ全員が独立するという目標があったからこその結束力でもある。
そして、周到な準備。
そんな国民性の片鱗を今でもスロベニアの首都リュブリャナに見る事ができる。
街にはマクドナルドやケンタッキー、ダンキンドーナッツやスターバックスがほとんど見当たらない無い。
駅にはマックは有ったのは見た、ネットで見るといくつかあるらしいけど、数はとても少ない。
どんな所に行っても、観光地の一番の中心地にいつも有るマクドナルド。
きれいな歴史的な建物の真ん前の一等に、いきなりあのMの字を見るといつもがっかりします。
長い間、自分たちの街に入れさせなかったらしい。
私はこれにも感動しました。
自分の住む土地を守る事と自分たちを守る事は同じだと思う。
支配はされないという意識を今でも感じます。
スロベニアの主な輸出品は工業製品なんだけど、
EU諸国へ沢山のオーガニック製品を輸出しています。
こんな駅に構内に有機栽培リンゴの自動販売機が有ります。
もちろん保守的すぎて、若者たちのなかには出て行く人も居るんだけど、
アートシーンだって首都リュブリャナでは活発です。