ヨーロッパ〜日本往復日記

2001年から2003年まで二年の世界放浪の旅へ、それからどんどん価値観が変化していく様子をブログに書いています。

どんな行動だっていい。自分が体験できるなにか。。。

「悔いのない人生を送ろう!」なんかそんな言葉で、人の人生を煽りたくない。


最近というか、2011年以降かなfacebookが私のニュースの源になってる。

ローカルメディアが個人レベルまで裾野が広がっていて、発信源のフエイスブックフレンドの面々がかなり信頼できる人たちなので、その情報を比べて、ほうほう、ほう。と、今日本はこんなになっているのね〜と日々のニュースのようにチェックする。






そのなかで、面白い行動を起こしている人達がいるんだけどね、
「君も僕ら側に来ないか?」一緒に同じ仲間に入ろうよ!とfacebook上で他人を煽っている人達がいる。

僕は海外でこんなに素敵なことをしているよ、君もこっちの世界に来なよ、毎日バンバン写真がアップされるのだが、
誰かを動かすきっかけにもなるのかなぁ。







私が若いとき、ティーンから20代前半、本屋で、いかにアンダーグラウンドな雑誌を見つけて、その中にある情報をキャッチして、私がこんなシーンの中にいたら〜〜〜とウズウズしていたころを思い出した。



でも別にそのアングラな雑誌が私の人生に大きな影響は全くなく、ただただ焦燥感だけを煽られていた気がする。


大学に入りロックなノイズバンドをやり始めてからもたまに面白い音楽シーンがあるのかなぁと気になって吉祥寺のお気に入りのアートな本屋で雑誌を漁っていたのも、雑音のごとく自分の音楽を追求の邪魔になっていただけな気がする。




人生のなかで、その時その時に影響をあたえてくれる人がいる。でもそれは、実際に出会った人。実際にその人の行動を見て、
そばで一緒に体験するのが大切。



もう少しわかりやすく言うと、アートブック。アートブックをみていろんな芸術作品の写真を見る。

実際に博物館に足を踏み入れて、実際の作品を見ると、全く印象や感動が違う。

そしてそれ以上に、アーティスト本人がモノを創っている所を真近で見たり、はたまたお手伝いなんかした日には、アートブックとは比較できないよね。




私が言いたいのは生身、実際のそのモノを体験したのと、メディアの中の写真や映像の中に映ったモノを見るのでは全く影響が違う。ということ。


(音楽や映像作品自体はそれ自体が本物なのでまた話は別ね)




人はお互いに影響を与え合うんだけど、それが実際の目の前にいる人じゃなくて、メディアの中の人だったら、ただの雑音にしかならないような気がする。

個人が発信できる時代になったネット時代は、雑音が多くなりすぎて人々を余計にさまよい生きさせるのかも??



最初の話に戻るけど、まあfacebookを通じて、その発信源まで足を運んで、その人に出会って
なんなら、なにか手伝ったりしたら、全然違う。


まあ、その発信源の人もそれを狙っているのかもね。



なんでもいい。一歩、実際の行動を動かす一歩がすべての始まり。





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