ヨーロッパ〜日本往復日記

2001年から2003年まで二年の世界放浪の旅へ、それからどんどん価値観が変化していく様子をブログに書いています。

人生という独学

みなさんお久しぶりでーす。実は今、日本にいるんですよ。今回は2週間半という期間。
両親の実家の鹿児島にも行ってきました。

まあ普通、働いていると2週間半というのは、日本では長い休暇で、ヨーロッパではちょっと短いかなという感じでしょうか。

鹿児島への旅行は母と共に行き、自分たちのルーツに戻るという感じで、よかったです。
霧島市指宿市に5泊、温泉ざんまいで、美味しいものを堪能しました。あとたくさんの親戚にも会いましたよ。

今日はその鹿児島旅行から戻りのんびーり、ふと家族の様子を見てね、ああ昔と同じだなーとブログを書く気になりました。

ウチは父と母がテレビっ子で、いつでもテレビが付いている家だったんだなーと。

旅に出てからテレビのない生活が始まり、それが当たり前になった。

小さい頃からテレビがずーとBGMのように付いている家、ベルリンからたまに帰るとそれが
とても不思議な光景に見えた。

日本と往復する日々がもう17年。もうヨーロッパから日本に帰って来てもなんの違和感も感じない。

ただ、分析癖だけは常につきまとう。

父と母の時代は丁度、経済高度成長期と重なりながら大人になり、家庭を持ち、仕事そして子育てに奮闘していた時代。


あの時代はテレビの中のコモンセンスが日本を支配していたような。

まあ今でもテレビとネットに支配されているのか。それは対して変わらないのだ。

うーん、今何を書こうとしているかというと、大人になると自分を成長させてくれるのは自分で選ぶことができることもある。

大部分の場合は大人になった時の学びの場というのは家族を作り、子供を作ることと、仕事なのかな。
が、私みたいに子供がいなかったり、社会の中で会社とか仕事の仕組みの中からはみ出てしまったら、

自分で自分を教育していくしかない。独学だ。



昔だったらお祭りとか、宗教行事とか地域や大家族の中での役割があったり、そういう周囲の人間関係の中で揉まれていくのだろう。



私はというと、日本の仕組みからはみ出し、旅の中や海外の生活の中で、困難に直面しては教育され、新しい友人や家族との触れ合い、そして新しい言語を習得しながら、
自分で自分を教育しているのだなあとふと思った。


例えば、私は旅の中でいろんな国の習慣や考え方に触れられたことの中にたくさんの学びがあった。

それから激動のベルリンを体感できたこと。無茶なことをしたり、バカなことをしたこともあったけど、
あの時のベルリンにいなければ今の私は居なかったと思うくらいにベルリンから影響を受けた。
もう今のベルリンにはその片鱗があまりにもないことがとても残念だけれども。

それから、最近一番学んだのはあの福島第一原発の爆発からだ。私はあの時まるで戦争の渦の中にでも入った気がしていた。命の危機感というものが、こんなに人間を動かすものなのかと思った。




上の3つのうちで、自分で選んだのは2つだけど、もちろん最後は選んではいない。


色々考えるうちに、人それぞれ困難に出会い、それを克服していくというのは
十人十色、そうだよね。

子供を育てるのだって、はてまた料理をすることだって孤独で、自分でアレヤコレヤ考えて経験になっていく。これだって独学だよな。子供は一人一人違うし、状況も違うしね。





それはテレビやネットからでは決して無い、自分で動き、体験し、独学すること。

そう考えると日々の生活の中全てが学びであって、少し意識的になることが必要だなーと思う。