ヨーロッパ〜日本往復日記

2001年から2003年まで二年の世界放浪の旅へ、それからどんどん価値観が変化していく様子をブログに書いています。

ベルリン、ロシアによる武力鎮圧

今回は以前書いた日記。自分で気に入っているので、内容をつけたして
もう一度UP。

現代史なんて大それたタイトルつけたけど、

ベルリンの特有なスタイルを説明するのに、

歴史的なお話が不可欠だ。

ココでは有名なベルリンの壁以外の事を

とりあえず簡単に

まず第2次世界大戦終了後、ベルリンは勝戦国のソ連アメリカ、イギリス、フランスに占領される。

まあこれは有名。

終戦後、まだ情勢は不安定だった。

大国がひしめき緊張状態。また激戦が始まるか??

市民は不安だった。市民はどんどんベルリンの外へと出て行った。

ベルリンの外は全部旧東ドイツ、その中にぽつんと旧西ドイツの陣地がある、旧西ドイツ政府は何がなんでも

その陣地を守りたい。が、市民はどんどん居なくなる

そして旧西政府はある案をだす

ベルリンに住めば、兵役に行かなくてもいいよー。

その当時、ドイツ男性の兵役は絶対。

戦争に反対するヒッピーやパンクスや芸術化がベルリンに

移住。

そして旧東ドイツでも問題が。(まあ旧東はたくさん問題があったけど。。)

理想だった社会主義が自分たちの思うように行かない・・・。

50年代大規模なデモが起こる。ソ連の介入で武力鎮圧。

多くの若者が命を失う。。。。ロシアの真髄だね。。。いつの世も。

artsandculture.google.com


旧東ドイツでも兵役につかない人は大学には行けなかった。

戦争反対、でも大学で学びたい若者は西ベルリンに移動する。

(壁が作られる以前は東から西に移動が出来、人々はどんどん移住した)

こうして当時の西ベルリンはどんどん

とっても濃い若者たちで

あふれて行く・・・・。

社会主義の東はもちろんの事、

そうして壁に包まれた、西ベルリンも

まったく経済的に遅れてしまった。

ビジネスは全く立ち遅れ

個性的な人達が住むベルリン。

それが今のベルリンの基礎。


ここからつけたし・・・・。

ベルリンの壁崩壊後、旧東地区では、土地が国から以前の所有者へと変換された。
しかし、戦後のさなかの混乱もうそれを証明できるものが無い土地もある。

所有者が居ない建物、アパート。

そこへ占拠する若者たち。それもそうだ、都会の真ん中にタダで借りれる(?)でっかいいくつも建物があるなんて

使うしかないでしょ。アーティスト、ヒッピー、パンクスたちがたくさん住んでいた。

そしていくつものパーティーがそういう場所で開かれていた。

もう今ではそういった光景はほとんど見られない。2000年前後占拠されたアパートを取締りが厳しく行なわれ
そして、2002年ぐらいにはパーティも警察に取り締まられるようになった。

2001年私が初めてベルリンに来たとき、今のそれとは違う一種独特の世界がまだ残っていたが、それは
最後の残り火であった。


現在のベルリンはというと、まだいくつかの空き地にはいくつものキャンピングカーやが留まり
一種のコミュニティーを形成している場所もある。

どんどんショッピング街やストリートが新たに作られ、資本主義スタイルへの道はどんどん加速するばかり。
しかし一方では、他の大都会に比べ居住費がやすく住むため、アーティストがいまだヨーロッパ各地から集まる。

写真は駅構内のパンクスと着物を着る私