ヨーロッパ〜日本往復日記

2001年から2003年まで二年の世界放浪の旅へ、それからどんどん価値観が変化していく様子をブログに書いています。

移動型生活者の哲学を考える

なんか変なタイトルですが、

ふっと思ったのですよ。

定住型生活者の哲学があるのなら、

移動型生活者の哲学がある。

移動生活者の哲学というものを考えて行こうとおもいます。



私が思うに、定住型生活者というのはその土地と繋がって生きて行くのです。気候やその土地の社会や文化やそんなもんを
好むと好まざるに関わらず、全部ひっくるめて背負わなきゃ行けない。

だから覚悟が出来るのだと思う。まあ習慣って云うのもあるけどさ。



でも、移動型生活者はそういう特定のものが無いんですよ。気候もコロコロ変わるし、関わる人間も変わる。それから社会のシステムも文化もね。

だから、もっと人間の深い所の共通点に訴える人付き合いが出来ないといけない。それも時間をかけて出し惜しみが出来ないから
もう速攻心で開く。(笑)


それから土地や気候に関しては、今居る土地をリスペクトしつつ、
やっぱり宇宙と繋がる、地球と繋がるというもっと大規模になる。

人付き合いは、身の周りの近しい人との繋がり。
土地に関しては範囲は広く。

小さい規模と大規模と一緒くたんに背負う。それから、孤独になってもその地球の繋がりで繋がれるって思う事。
もう、飛行機でどんどん移動できる時代になったんだから、本当に会いたくなったら自分から会いに行けば良い。



そしてやはり、定住型生活者との大きな違いは、社会との繋がりですな、簡単に云うと仕事もその中の一部。

移動しながら人間社会と繋がるのは、やっぱり、ベースとなる社会を持っていた方が良い。
例えば、私にはやはり母国であり、母語でありしょっちゅう帰ってくる日本とか。



社会のシステムは国ごとにいろいろあるからね。時代によっても変わるし、あまりにそこから離れてしまうと、

人間の根底的な社会的な動物という本能の部分が満足しないと思うんだ。




そして仕事に関するなら、移動しながら続けられるものが良いよね。
移動型生活者は最近、ノマドワーカーとかコンピューター系がはやりらしいけど、なんか私にはシックリ来ないんだ。

移動型生活者は今居る状況、今の土地や今居る人と繋がりを短い間に築かなきゃ行けないから、その作業が妨げられる気がするの。

繋がりの薄いコンピューターに意識を向けたくなくなる感じがするよ。でもまあ、個人で意見は違うと思うし、使えるものは使わなきゃ行けないからコンピューターも必要なツールなんだろうけどさ。


この仕事探しは結構大変だろうけど、自分で作って行かなきゃ行けないんだろうね〜〜〜。


いま、これを書いていてふって思ったんだけど、仏教のお坊さんがそういえば、旅をしながらその土地土地で活動している人に会ったことがあるよ。

ああ、これが何か糸口になるかな?もうちょっと考えてみよう!!



そのヨーロッパを旅するお坊さんと話したときにね、お坊さんである限り家庭をもてない。女性とも距離を置かなきゃいけない。
そういうのは寂しくないのかって聞いたのね、

その答えは、「この自分が持っている自由の事を考えると、持たなくて良いって思う」って言ったんだよ。


え〜〜自由と引き換えにか〜〜!!そのときはタイはやっぱり貧しい家に生まれると凄く大変な思いをするのかな?って思っただけなんだけど。


今はね、その人はタイにベースを持ちつつこういう移動型生活を体現しつつ、悟りへ向かう人だったのさ。



でね、その世界中の寺院から面倒見てもらうわけじゃん。ご飯とか寝る所とかね、でもその分、その自分の悟りの世界を共有することで、出会った人々がプラスになれば良いんだよね。



そういうのを考えると、出会った土地や人にお返しするって云うんだね。


やっぱり移動型生活者の仕事は、その時であった土地や人々に還元するような仕事が出来たら最高なんだね。


それで、その中で自分の仕事のレベルがアップ出来たら良いんだね〜。

そう思います。








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