私が日本語教師養成講座に通っていた時、興味深いことを聞いた。
日本語教師が日本からブラジルへ派遣されるとき、しばしば問題になる事。
それはブラジル日系人が望む”日本語だけでなく日本人としての意識を教えられない事”
ブラジルに住む日系人は、その昔日本から渡ってきたおじいさん、おばあさんから日本というものを習った。
彼らの風習が日本なのだ。もちろん今の日本とその昔渡ってきた彼らが考える日本には時代的誤差がある。
いきなりブラジルにやってきた若い日本人教師に、戦前さながらの日本人としての誇りや意識を教えろ
と言っても無理がありすぎ。でもそういう意識を子供たちに学習させる時間があるらしいい。
日本語だって違う。
言葉というものは変化がはやい。正しい日本語だと教えなければいけないものが
もう誰も使っていないものというのもありえる。50年前と今と同じ日本語を果たして話しているかといえば、想像にやさしいだろう。
そして果たして正しい日本語とは?という問いに、今現在日本で使っている母語話者(子供の頃から使っている日本語ネイティブスピーカ)の多数決というものらしい。
ふ〜んそんなものかと思った。
そして、日本語って書くのと話すのが違う。音もついでに違う。今ではたとえば
”を”とか”いう”とかいろいろ
昔日本人がどうやって話していたかを知る文献に、
その昔、江戸時代に日本に来た外国人の日本語学習ノートがひとつあげられる。
それはその外国人が、当時の日本人の話や発音をそのままローマ字表記していたので
どうやって日本人が話していたかがわかるらしい。
ちょっと話がそれたが、意識に話を戻そう。づづく・・・
ちなみにこれらの写真は文の内容となんら繋がりは無いが、上は近所のヘルマンプラッツ駅。下は最近たずねた面白いアパートの写真