ヨーロッパ〜日本往復日記

2001年から2003年まで二年の世界放浪の旅へ、それからどんどん価値観が変化していく様子をブログに書いています。

人に与える喜び

私はね、全体的にアート・音楽というのは、人間が開発したすばらしいものの一つだと思う。

だから、創作活動というものにかかわっている人たちは、また一つ違う人間の
豊かさを知っているものだと思っていた。


でも、ねやっぱりそんなツールも使う人によってさまざまなんだなって、それは普通の生活の
選択の一つとなんら変わりないんだなって、ふと今思って書いています。



というのはね、やっぱり与えるほうになんでもシフトしていかないと、それに係わっている良さがわからないって言うこと。



それは何でもそうなんだな〜〜って。それは自己を爆発させたアートにも言えるんだなって。それをどうやって人のためや、世のために使えるかって事なんだと思う。

だから、すばらしいアートほどその社会に対するメッセージはすごくて、影響力がある。
でもただ

これが私の考えで、他が間違っている!
(そういう私を誰か褒めて)とかそういう否定的なものだったら、


実際身の回りの人に何かを与えられない人だったら全体になんて与えられない。

もちろん、アートはすばらしいものでも、認める認められるという悲しい運命を持っているのだけど、
認められなくてもね、本当のアーティストはね、その人そのものが周りに与える影響ってすごいものがある。

私の友達に、2人この人はアーティストなんだな〜って思う人がいるんだけど、やっぱり私は考え方に影響を受けた。

魂やエネルギーの繋がりといったことや、(まあもともとそういう素地は私にはあったと思うが)お金や社会的地位やものがなくても、充実した人生をおくることや。イベント事がなくても自分自身が作っていくことで淡々とした生活でも満足感があるということ。とかね。







それとは反対にね、たとえばね、あるストリートミュージシャンに会った。ベルリンでねもちろん彼はね、良い演奏をする。良い演奏が出来ているときは幸せだ。自己満足で、それで、他の人が褒めてくれる。
褒めてくれるって嬉しい。

でもその次に演奏会で会った時に、なにかのチューニングが上手くできない今日は楽器の調子が悪いとかで塞ぎ込んでしまった。そこには数人の人がわざわざ集まったのに。。。やめてしまった。彼はもちろん演奏家としてプライドがあるんだろうけど、せっかく電車代をはらって、時間を掛けてきた人に
彼のエゴで、何も出来ないと。。。そこで、なにか社会に対する愚痴を言い始めた。もう60才以上の人だった。


その人はせっかく音楽と係わってすばらしい演奏が出来る人なのに、不幸そうだ。


他にも、創作活動に係わっている人にも係わらず、とても受身的な人を見てね、ああ、何でも、ありとあらゆるものことに係わっていても、

人に与える喜びを、知らないと、それに係わっている喜びを知らないことだと思った。


人に何か与えて、その人が変ってゆく姿って、自分が褒められるより何倍も嬉しい。


年を取るってね、自分が与えられるほうにシフトしていくって言うこと。
見た目が変るし、体調も悪くなるし、年を取るってね、なにかマイナスな事ばかりが多いように思われるけど、実際違うんだなって
やっぱり自分が成ってみないとわからないって思ったよ。